記念出版
記念出版
■はじめに
国分一太郎生誕100年記念事業実行委員会実行委員長
大江権八
国分家は代々髪結いの家柄でした。一太郎の父藤太郎も床屋で、母デンは国分家に嫁入りし
てから床屋の技を習得しました。床屋の跡継ぎは長男である一太郎でしたが、次男正二郎が継
ぐと言ってくれたので、一太郎は山形師範学校へ進み、昭和五年卒業。同年新採で長瀞小学校
に赴任し、やがて生活綴方の指導で注目を浴びるようになりました。
東根三日町から長瀞小学校までの往復は約一里あまり、夏は自転車で冬は歩いて八年間通い
ます。このとき国分は何を思考し何を期待してこの道を行き来したのでしょうか。
当時、長瀞小学校には想画教育の実践者佐藤文利がいました。その想画教育を国分は「わが
校の想画は生活を題材とする生活画であり、想画は絵による生活表現であり、綴方は文による
生活表現である。」とのべていますが、地元出身の教師仲間と自由闊達に村行事や習俗を語り
合う中で、国分自身生活を学んでいったようです。「よく自然と人と村の生活を観察して」「よい生活文」から「よい自分の考え」をつくりだす国分の生活教育から、文集「がつご」「もんぺ」「もんペの弟」
が生まれました。
また国分の仕事には名著とうたわれるエッセイ集「しなやかさというたからもの」をはじめ、
少年少女小説、随筆、詩、童謡、教育論など多彩をきわめますが、私の書架にある「山形県文
学全集」 ( 郷土出版社 ) には、「ヒゲソリメイズン」「村の祭日」「養兎家」の随筆が収載されて
います。これらの国分文学作品のほとんどの舞台が三日町周辺と長瀞村で、昭和初期の東根を
描写した民俗史的にも稀有な文業であったといえます。
国分の生涯の多岐にわたる仕事は、七十冊の著書、編著として残されていますが、没後二十
五年を経てほとんどが絶版となり、手にすることが困難になっています。本書は、その業績と
人間国分一太郎にふれる入門書といえるものです。わずか四百頁余で全体像に迫ることは不可
能を承知の上での編集ですが、その一端にふれ興味を持っていただければ幸いです。
このたびの国分一太郎生誕100周年記念事業にあたり、東根市より多大の援助と指導をい
ただき、長瀞地区からは教育碑建立などでお世話になりました。また建碑にさいし市民はもと
より県内外に多くの皆様より募金を寄せていただきました。あわせて深く御礼申し上げます。
平成二十三年七月
『こぶしの花――国分一太郎の世界――』目次より
■はじめに
■わが町東根
◇正月追想(『国分一太郎文集9 北に生まれて』新評論・1983年)
◇ダンゴさし(『国分一太郎文集9 北に生まれて』新評論・1983年)
◇おひな餅まわし(『国分一太郎文集9 北に生まれて』新評論・1983年)
◇「だし」の話(『国分一太郎文集9 北に生まれて』新評論・1983年)
◇「カラカイ」と「エイゴ」(『国分一太郎文集9 北に生まれて』新評論・1983年)
◇六田の焼麩のこと(『いなかのうまいもの』 昌文社・1980年)
◇「豆糖」のこと(『いなかのうまいもの』 昌文社・1980年)
◇「おくのほそ道」から「赤口」「白き山」まで(『いなかのうまいもの』 昌文社・1980年)
◇ツバメがくると(『昭和農村少年懐古』 創樹社・1978年)
◇桜桃(『わたくしのなかの母と子』 百合出版・1965年)
◇落穂拾い(『若い自画像』第二部 三一書房・1961年)
◇床屋図書館(『若い自画像』第二部 三一書房・1961年)
◇たわしのみそ汁(『国分一太郎文集10 子どもたちへ』 新評論・1985年)
登医者(『国分一太郎文集10 子どもたちへ』 新評論・1985年)
◇講演 我が町しみじみ三日町(1983年7月3日「国分一太郎講演会」・三日町公民館)
■もんぺの村 長瀞
◇村の祭日(『昭和農村少年懐古』 創樹社・1978年)
◇旧い教科書(『すこし昔のはなし』 偕成社・1977年)
◇遠足の思い出―――未来の自伝家の手記(『昭和農村少年懐古』 創樹社・1978年)
◇小労働者・小百姓(『昭和農村少年懐古』 創樹社・1978年)
◇長瀞かるた(1)(2)(3) (『もんぺ』第3号)
◇もんぺの弟よ 先生をとりまいて集れ(『もんぺの弟』第2号)
◇児童劇 一本のロウソク(『国分一太郎児童文学集6 塩ざけのうた』 小峰書房・1971年)
◇その夜の『雁城』【長瀞村】(『北村山郡郷土読本』・1934年)
◇「その夜の『雁城』のいきさつ」(葉書)
◇煎豆の宴(『いつまで青い渋柿ぞ』 新評論・1986年)
■青い渋柿
◇『教室の記録』国分一太郎
・土人のまね
・夏休みの題材
◇『教室の記録』相澤とき
・新人のころ
◇啄木のまり(『昭和農村少年懐古』 創樹社・1978年)
◇ひき裂かれる手記(『小学教師たちの有罪』 みすず書房・1984年)
◇「昭和」と「農」と「私」と(『国分一太郎文集9 北に生まれて』新評論・1983年)
■小品選
◇季節感を育ててください―――序にかえて(『自然このすばらしき教育者』 創林社・1980年)
◇シラサギの歌(『ズーズー先生隋聞帖』 昌文社・1975年)
◇カヌヒモトのおもいで(『国分一太郎文集10 子どもたちへ』 新評論・1985年)
◇鉄五郎のオスヤギ(『すこし昔のはなし』 偕成社・1977年)
◇犬あそばせ (『すこし昔のはなし』 偕成社・1977年)
◇最上川(『国分一太郎文集10 子どもたちへ』 新評論・1985年)
◇わかもの(『国分一太郎文集10 子どもたちへ』 新評論・1985年)
◇胸のどきどきとくちびるのふるえと(『国分一太郎文集10 子どもたちへ』 新評論・1985年)
◇青くびダイコンの詩(『雨の日文庫第一集』24 麦書房・1958年)
◇春くる
◇雨のえんそく
◇日ぐれの酒買い
◇こぶし花
◇萱背負い
◇もんぺの子供
◇『しなやかさというたからもの』あとがき(『しなやかさというたからもの』 昌文社・1973年)
■おもかげ
◇私の中の乳 国分 真一(団体職員・東京都)
◇国分一太郎―――生活綴方教育の旗手の秘めていたもの
土田茂範(やまがた児童文化会議会長・寒河江市)
◇国分一太郎簿児童文学―――子どもをはげまし育む真摯な魂の技師―――
鈴木 実(山形童話の会・天童市)
◇国分先生と長瀞村の風土 吉田 達雄(東根文学会同人・東根市)
◇先生の思い出 阿部 平蔵(『もんぺの弟』・東根市)
◇生涯の師国分先生のこと―――私の教師スタートの頃 山田 とき(南陽市在住)
◇賢兄愚弟 国分正三郎(東根市在住)
◇正師を得ずんば学ばざるにしかず(道元) 無着 成恭
■国分一太郎略年表
■編集後記
■編集後記
国分一太郎生誕100年記念事業の準備に向けていよいよ始動すべく、3月12日に予定し
ていた実行委員会の会議が、前日に起きた東日本大震災の発生で中止となり、二カ月の空白期
間を経て再開したのが五月の連休開け、予定は目の前に迫っていました。
国分一太郎の膨大な著書群の中から、全体像を一冊にまとめるのは至難の業です。そこで、
主に生まれ育った東根と教鞭をとった長瀞を舞台にした作品に限定し、身近な人が書いた文章
から国分一太郎像を浮かび上がらせようと試みました。これが「国分一太郎の世界」かと叱責
されそうですが、本書に盛りこんだ北の人間国分のエッセンスを読者に汲み取っていただけれ
ば幸甚です。それにしても、グラビアの写真の不足にはどうしょうもなく苦しみました。中央
で活躍する写真にくらべ、ふるさと東根でくつろぐ写真を写した写真がほとんどなかったから
です。
東の杜資料館の中に、「国分一太郎資料展示室」と「資料収蔵室」があります。一太郎没後、
長男真一氏より寄贈されたもので、整理されたものは展示室で展示公開、未整理の資料は現在
も山田亨二郎によって整理作業が継続中です。本書の編集にあたっては、収蔵室の資料が大変
役に立ちました。国分一太郎研究者にとっては貴重な宝の山です。
新たな戦後にもたとえられる震災後の日本、その復興には莫大なエネルギーと費用、そして
時間が必要とされるでしょう。なかでも福島第一原発の事故は、何世代にもわたる私たちの子
孫に対して、取り返しのつかない負の遺産を残すことになってしまいました。このような時期
に編まれた本書は、長瀞小学校跡地に建立された教育碑とともに、私たちの心の復興の第一歩
を標すものです。このささやかな記念事業が、大きく国のあり方、かけがえのないふるさと東
根の文化を考え、一人ひとりの生き方を問うものであってほしいと願うものです。
2011年7月
編集委員 吉田 達雄
山田 亨二郎
村田 民雄