生活綴方運動の旗手であり、児童文学者、教育評論家、教育運動家でもあった国分一太郎。その国分一太郎の生涯を 長い、長い叙事詩のように映し出していくこと。それが、このホームページの大きな役割の一つである。

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ようこそ!生活綴方運動の旗手・教育者国分一太郎のHPへ


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サイトの更新情報


◆生誕100年記念の事業が無事終了
◆2011年7月23日(土)~24日(日)、多くの方々の参加のもと、記念碑の除幕、生誕100年の集い、記念文集の発行、第7回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会の実施等、無事終了することができました。詳細は、メニューの 「生誕100年記念事業」  
にまとめてあります。
 

◆『生活綴方の旗手・教育者国分一太郎のホームページ』へ

◆国分一太郎の生誕100年を記念する事業の成功のために役立つ「場」とするという、本ホームページの第一の役割が終了。
◆これからは、もう一つの目標、教育者 国分一太郎の生涯を 長い、長い叙事詩のように映し出していくこと、国分一太郎の思想を語り継いでいく仕事に 邁進してまいりたいと考えます。そのため、これまで『国分一太郎生誕100年記念ホームページ』としていた当ホームページの名称を『生活綴方運動の旗手・教育者国分一太郎のホームページ』と変更いたします。
( 2011年7月25日、2018年2月1日 管理人 )

         


国分一太郎

 生活綴方運動の旗手であり、児童文学者、教育評論家、教育運動家でもあった国分一太郎。様々な名称で呼ばれる国分一太郎ですが、私どもは、国分一太郎は、何よりも子どもたちにやさしい目を向ける「教育者」であったと考えます。国分一太郎の残した文集『がつご』『もんぺ』『もんぺの弟』の中に、教育者国分一太郎が見えてきます。その国分一太郎から何を学びとっていくべきなのか、丁寧に研究を続けてまいりたいと思います。



 1930年(昭和5年)、山形師範を卒業した国分一太郎は、世界恐慌、
農業危機下の貧村の小学校、北村山郡長瀞村長瀞尋常小学校に
つとめることになった。

「 1930年、師範を卒業し、すぐ付属小学校訓導になれといわれたのを、家計のためにことわって、世界恐慌、農業危機下の貧村につとめるようになった。これは私の人生にとって、一番に意味あることであった。私は、そこで、子どもたちとその親たちの実際生活から教えられ、一生のあいだ農村教育に従事するものになろうとの覚悟を、一年間のうちに、決めてしまった。」

(『国分一太郎文集』9巻 「『昭和』と『農』と『私』と」)



 こうして、国分一太郎の「てまのかかる生活綴方のしごと」(同上)が
はじまっていく。





まがりくねりながら
行くところへ
行きつく道

あせらずに
行かねばならぬ
この道

まがりくねりながら


幼きものらの
いのちいとしく
けさも門立つ

こころ
おののき

幼きものらの


こらのかくふみのかずかずむねひびくきょう
もよみつぐ あすもよみつぐ

こらのかく


タナゴがとれたで
もっていこ
ピチピチいかして
もっていこ
おまえのゴムぐつ
もらないか
もらなきゃタナゴを
いれていこ
タナゴはよわいで
気をつけろ
田の畔すべるで
気をつけろ

タナゴがとれたで


うらのよしやぶよしきりの
こどもが かあさにきいていた
よしがこんなにのびるなら
おそらが とおくならないか

うらのよしやぶよしきりの
かあさがこどもにおしえてた
おまえのつばさがのびるなら
お空はだんだんちかくなる
まいにちまいにち ちかくなる

うらのよしやぶ


この道
まっすぐです
この道を
行きます
あらし
吹く日も

この道


こぶしの花
北へ北へと
むいて咲き
北になにかを
望むらし

こぶしの花


見かけが
くるみと
似ております。
ぶあいそうで
ございます。

どうか
からを
たたいてみてください。

見かけはくるみと


あれが
足あとで
あるのか
わたしのと
はるかな
雪野原を
ふりかえってみる

あれが足あとで


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