生活綴方運動の旗手であり、児童文学者、教育評論家、教育運動家でもあった国分一太郎。その国分一太郎の生涯を 長い、長い叙事詩のように映し出していくこと。それが、このホームページの大きな役割の一つである。

「だし」の話

「だし」の話

 わたくしの生まれ育ったところは、山形県の村山地方だが、ここでは普通にいう「だし」をつくらない。「だしコンブ」のことは知っているけれども、それを使って「だし」をつくるような家はめったにない。だから去年の秋、上京した弟に「青森の友だちが送ってくれたコンブがどっさりあるから持っていかないか」といったら、「だしコンブか」ときいた。「そうだ」と答えると、「それならいらない」とあっさり敬遠した。

 しかし『だし』ということばは、ちゃんとあるのである。それは料理の名前として、昔もあったし、今もある。

 いってみれば、「だし」は朝の料理である。わたくしたちが小さいころ、祖母や母がよくつくってくれた。ご飯をたいているあいだに、庭のすみにはえたミョウガの茎とシソの葉をつんでくる。ミョウガはもちろん「夏ミョウガ」で、れいの竹の子のように出る緑色のものである。「ミョウガの子」といわれている秋に根元に出るあれではない。この「だし」をつくるための用意でもあろう、ミョウガがかたまって出るところには、冬になる前に、米のもみがらやおが屑を山とかけておく。だから春に出る芽は、堀りとると二十センチも三十センチもあり、根もとのところが水々しく白い。そのミョウガと青シソの葉を、みじんにきざむ。母がことことときざむまな板の音と、つよい匂いがわたくしたちのねているところまでつたわってきて、「けさはだしだな」とわかることさえ、ときどきあった。深い丼に、そのみじんぎりを入れ、それに醤油をたくさんぶっかけて、木のさじをつけて、茶ぶ台に出す。わたくしたちは、それを歯の先まで熱いような飯の上にかけて、飯といっしょにかきまぜてたべる。そのなんともいえない匂いと味。その朝は味噌汁をすうことも忘れたりした。

 わたくしたちのところではこれを「だし」といった。前にいった葉が広がりしげるのをじゃまする用意のおかげで、ミョウガの新芽のやわらかさが、なおつづけば、その「だし」には、あたらしくできた生キュウリのみじん切りも加えられた。これが秋になれば、ミョウガは「ミョウガの子」と変り、キュウリのかわりに生ナスのみじん切りが加えられる。

 これを「だし」というのだった。わたくしたちは、「だし」とはこういうものだと思いこみ、この匂いのよく味のよいものをありがたがった。そしてほかの「だし」というものを知らなかった。まるで老人ごのみ、酒のみごのみみたいなこの味と匂いを、幼いころから舌の先に味わって、これは舌の焼けるようなあついご飯にかけて食うものと思った。昼間、つめたいご飯にかけて食ったら、うまくないことを自然と知って、「あすあさも、だしをつくってくれな」と祖母にせがんだりした。かつおぶしだの、コンブだのを、めったに使うことのできない東北の人間たちが、ある季節の地べたからひろいだす新鮮な味と匂いを生かすやりかた。これが「だし」というものであっただろう。いま思い出しても、わたくしには、てらうような気持ちからではなく、ほんとにつつましいものだったなあと考えてしまう。「あれをだしと名づけたとは」と…。

 さて、東京に住んで三十年。わたくしは今も、この「だし」のことが忘れられず、毎年、いまごろの季節からは、これをつくって、自分も食い、家族たちにも食わしている。そのために、せまい庭のすみには、ミョウガも移し植えた。アカジソとアオジソは、どういうかげんか、ひとりで生えるので、そのアオジソの方を利用する。しかしひとりで生える東京のアオジソは、植物分類学でいうエゴマに近く、油くさくて、この「だし」の味をぶちこわす。それで八百屋で売っている根付きのアオジソを買ってきて、その根をやはり庭先に植えこまなければならない。ときには、その八百屋で売っているアオジソさえ、工業用油をとるエゴマに、品種として近づいているときがあって、買うとき鼻先でクンクンかぐものだから、店のおやじに変に思われたりする。ただ、東京でよいのは、季節おかまいなしの促成栽培ナスが店先に出るので、この「だし」に、いつでもナスのみじん切りが入れられるということだ。どうせ東京のは「にせだし」だから、わたくし手製の「だし」には、東北方言でいうボヤボヤとのびひろがったミョウガの茎とアオジソの葉と、ナスとキュウリとトウガラシまたはピーマンなどのこまかいみじん切りが、ごったにまじりこんでしまう。それに醤油と、放送用語でいう「化学調味料」がはいるわけである。ただしキュウリを入れるときだけは、実のひきしまったものを用い、変に水分が多くてこの「だし」の味を殺す奴は使わない。

 この三、四年、信州育ちの女房も、子どもも、はじめは「父ちゃん、へんなものをつくる」といっていたのに、いまはうまそうに食ってくれる。ざまあ、みあがれ ? ただ、去年からモスクワに行っている長女に、ことしはこれを食わせられないのが、ちょっと残念なだけだ。

                          (『国分一太郎文集 9 北に生まれて』新評論・1983年 )


powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional