生活綴方運動の旗手であり、児童文学者、教育評論家、教育運動家でもあった国分一太郎。その国分一太郎の生涯を 長い、長い叙事詩のように映し出していくこと。それが、このホームページの大きな役割の一つである。

''国分 恵太(国分家代表)''

国分 恵太(国分家代表)

ありがとうございました

  関係各位

  拝啓

 盛夏の候、皆さまには益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。先日は、伯父一太郎の「国分一太郎生誕100年の集い」に出席下さいまして、誠にありがとうございました。 皆さまのおかげで、成功裡のうちに行事を終えることができました。関係者のご尽力にあらためて御礼申し上げます。

 記念事業のあった23日(土曜日)、24日(日曜日)は天候に恵まれましたが、その後山形は暑い暑い日が続き、おまけに突然の雷雨だったりとか変な天気が続いています。これも地球温暖化の影響なのでしょうか ?

 私は天気の影響を受け易い船釣りを趣味としていますので、今年は震災のこともありなかなか釣行できずストレスがたまっています。(釣行できたとしても釣果があがらず、かえってストレスがたまる場合もありますが……)

 私は大学1年 (昭和49年) の春から秋までと、大学4年の夏から卒業まで北新宿の伯父の家の離れ (工場あと?)に住んでいました。私が住んでいた頃は、もう一軒離れ?があり、山形出身の「怪獣青年」が住んでいました。その方は、「円谷プロ」?で特撮の仕事をやっている方と聞かされていましたが、真実かどうかは……?

 その頃の国分家には、ジョンとモルという2匹の犬がいて、伯父が在宅の時は夕方になると散歩に行く姿が印象深く残っています。ヨレヨレの着物の懐に犬の糞の始末をする新聞紙をいれて、下駄をはいてでかける姿をよく見かけました。私にとっての伯父は煙たい存在で、不在の時を見計らって母屋にいる伯母久枝のところで食事をご馳走になったものです。伯父が在宅時に食事をご馳走になるのはできるだけ避けていました。その理由は、伯父自ら犬の餌を作る鍋(今考えると金属の洗い鉢)で、食事を作ってくれるからでした。

 たぶん北新宿に訪問なされた際に、その鍋で作った美味しい料理をご馳走になった方もいらっしゃると思います。今となっては良い思い出です。

 墓参していただいた時に申しましたが、伯父一太郎は先祖代々の墓に入りたいという希望があり実際に入っています。私の30年ほど前の結婚披露宴でも、自分が死んだらあのお墓に入りたいと、親族挨拶のなかで、話をしました。その頃は古いなりに中々良い感じのお墓でしたが、年月を重ねヒビが入ったり一部が欠けたりした為か、今年1月に亡くなった私の父正三郎はお墓を新しくして欲しい、新しい墓に入りたいと何度も何度も言っていました。正三郎の長男である私は、父親の願いも聞きいれず昔からのままのお墓を維持しようと考えています。ただ、かなり老朽化が進んでいますので隣に新しいお墓を建てようかなどと考えたりもしています。

 もし来年も「研究会」が開催され、墓参する機会がありましたらどのようになっているかご確認下さい。静かな山のすぐ近くのお墓ですので、いつまでも今のままで、あって欲しいとお考えの方も多くいらっしゃるかと思いますが、管理する者としてはいろいろ悩んでしまいます。いずれ私もあのお墓に入る予定です。

 さくらんぼのシーズンも終わり、例年ですと山形は「尾花沢スイカ」が出回る時期ですが、全国的に高値だそうで東根の我が家の食卓には登場しません。夏の食べ物トウモロコシは差し入れがある為か毎日登場しています。「だし」をかけて食べる豆腐、きゅうり漬け、 茄子漬など山形は「いなかのうまいもの」がいっぱいです。私の腹はまだまだ成長を続けそうです。これからが夏本番です。どうぞ皆さま、お体には十分ご留意下さい。

*「生誕100年」に関する地元紙山形新聞の記事同封致します。

                                                     敬具 
                                              2011年7月吉日 
                                                  國分 恵太

国分一太郎業績たたえる

生誕100年  東根で集い
  
合唱や教育碑除幕

 教育実践者で児童文学者でもある東根町(現東根市)出身の国分一太郎 (1911年~85年)の生誕100年の集いが23日、同市のさくらんぼタントクルセンターで開かれた。北国の暮らしを表現した国分の詩の合唱曲などが披露され、国分の業績について多くの参加者が理解を深めた。

 また、長瀞尋常小がかつてあった長瀞公民館敷地内に功績をたたえる教育碑が建てられ、集いに先立って除幕式が行われた。実行委が企画し、市民からの募金などによって建立。台座も含めると高さ約2メートルで、著作「君ひとの子の師であれば」に書かれた詩を刻んだ。きょう24日は、同センターで「国分一太郎『教育』と『文学』研究会」の分科会などが聞かれる。

 国分は長瀞尋常小(現東根市長瀞小)で8年間教諭を勤め、日常生活を文章や絵に表現する生活綴方(つづりかた)、想画教育に取り組んだ。集いは市民などでつくる実行委員会(大江権八委員長)が主催し、国分の教育活動を紹介するビデオの上映の後、市音楽連盟を構成する各団体が国分の詩を基にした「もんペの子供」などの曲を合唱。国分の詩「最上川」に曲を付けた作曲家林光さん(79)=東京都=が指揮やピアノ演奏などを行い、最後に出演者全員で「最上川」を歌った。

*掲載写真の説明。林光さん(左)の指揮で国分一太郎の詩「最上川」の合唱曲などが披露された生誕100年の集い = 東根市・さくらんぼタントクルセンター

林光さん「最上川」
写真は、新聞のものではなく、生誕100年実行委員会撮影のものです。

                             2011年7月24日付  山形新聞

  


国分一太郎の業績 生活綴方など学ぶ

東根で分科会、講演

 教育実践者で児童文学者でもある東根町 (現東根市)出身の国分一太郎 (1911~85年 ) の業績などを学ぶ「国分一太郎『教育』と『文学』研究会」(田中定幸会長)の分科会、講演が24日、同市のさくらんぼタントクルセンターで聞かれた。

 同会には小中学校の教諭など全国に約200人の会員がおり、毎年2回、本県と東京で会合を開いている。今回の分科会、講演は国分の生誕100年記念事業の一環で、約80人が参加。分科会は国分が長瀞尋常小(現東根市長瀞小)で取り組んだ生活綴方(つづりかた)教育、文学活動など四つのテーマごとに開かれ、若い教師に綴方教育の伝統を広げなければならない」「表現力を高めるには、単語や文章に関する知識も必要」などの指摘が出ていた。

 また、国分に関する著作がある津田道夫さん(82)=埼玉県、著述業=が「小学教師としての国分一太郎」と題して講演。教諭時代の逸話を披露しながら「方言を大切にし、どの教え子にも平等に接していた」などと紹介した。

 *掲載写真の説明。国分一太郎の業績を紹介した津田道夫さん(右)=東根市・さくらんぼタントクルセンター



津田道夫さん
講演する津田道夫さん。写真は、新聞のものではなく、生誕100年実行委員会撮影のものです。

                              2011年7月25日(月)付 山形新聞



国分 恵太さん
国分一太郎生誕100年の集いの墓前祭で国分家の親戚の皆さんを紹介する国分 恵太さん(右端)。

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