「国分一太郎教育碑」除幕式(7月23日)
「国分一太郎教育碑」除幕式(7月23日)
2011年7月23日、午後1時より、旧長瀞小学校跡地(現長瀞公民館)において、
参列者多数のもと、「国分一太郎教育碑」除幕の式典が行われました。
式典に参集した多数の皆さん。
午後1時前。
式典開始を待つ。
国分家・国分洋治さんの司会進行で、式典がスタート。
開会の挨拶をする、国分一太郎・こぶしの会 会長の大江権八さん。
宮司の鈴木千原さんにより、秀抜(お払い)の儀が執り行われる。
除幕の儀。紅白の綱を引く方々の名前が読み上げられる。
東根市市長 土田正剛さん。国分一太郎・こぶしの会 会長 大江権八さん。国分一太郎「教育」と「文学」研究会 会長 田中定幸さん。遺族代表 国分真一さん。
国分一太郎先生と、生前に厚誼のあった方の代表として、作曲家 林光さん。著述業 津田道夫さん(欠席の連絡)。
綴方理論研究会代表 乙部武志さん。山田ときさん(娘さんの和子さんが付き添い)。そして、地元の小学生代表4名。
除幕の儀。司会の「よいしょ」の合図に、全員一緒に「よいしょ」と唱和。
紅白の綱をもった代表の皆さんによって綱が引かれる。
立派な教育碑が現われる!
国分一太郎 1911~1985
明治44年、東根市三日町に生れる。山形師範学校卒業後長瀞小学校に8年間勤務、その間生活綴方や想画教育に打ち込む。当時の村は凶作などの影響で疲弊しており、教師たちは子どもたちに現実を直視し問題解決のための学力をつけようと模索していた。北方性教育運動といわれ、国分一太郎はその中心的役割を担って活躍した。発行した文集「がつご」「もんペ」「もんペの弟」は全国の仲間から高く評価された。また、『教室の記録』『昭和農村少年懐古』は具体的な実践記録で、昭和初期の農村の子どもの生活が生き生きと描かれている。
昭和26年発行の『新しい綴方教室』『君ひとの子の師であれば』は、戦後の教育にはかり知れない影響をあたえた著作で、ともに長瀞小学校時代の実践が土台になっている。その業績は児童文学・教育評論などにも及ぶ。
また、『ずうずうぺんぺん』などのエッセイ集は、生活綴方的手法で東根のことばやもののもつ意味を再発見したひとつの文化論集になっており、東根の文化の指針としてこれからも読みつがれていくことであろう。
国分一太郎生誕100年 記念事業実行委員会
2011年7月23日建立
待望の国分一太郎先生の碑ができました。この碑は、皆さんの募金によってできたものであって、皆さんが作った碑です。皆さんの力でできあがった、すばらしい碑です。
この碑を建てるにあたりいろいろと検討しました結果、土田市長さんの提言がございまして、碑の設置場所は、やはり国分一太郎先生が昭和5年から8年間勤めた長瀞小学校の跡がいいのではないか、というご指導がございまして、ここに決定いたしました。
考えれば、ひじょうに良かった、いい場所に碑を建てることができたなという気持ちでいっぱいです。これも、本当に、みなさんのお陰です。
長瀞地区民の方々に心からお願いします。この碑を長く大切に管理してくださいますよう、ひじょうにたいへんだと思いますが、心を込めてお願い申します。
きょうは、どうもありがとうございました。
(教育碑に関する大江権八の挨拶、要約)
右はし一番前は、山田とき先生。その後ろは、娘さんの和子さん。
右はし一番前は、本間繁輝先生。その後ろ、奥様の英美子さん。
碑の前で記念撮影。国分一太郎先生のご長男一家。
右端は、綴方理論研究会の重鎮・大須賀敬子さん。
*碑の前で記念撮影をされた方、添付ファイルをお送りくだされば、この下に掲載いたします。
→「国分一太郎生誕100年の集い」へ!