◎「東北・関東」復興と合わせて
◎「東北・関東」復興と合わせて
2011年4月1日
国分一太郎「教育」と「文学」研究会
会長 田中 定幸
東北地方太平洋沖地震において、被害にあわれた皆様に心よりお見舞い申し上げます。また、
犠牲になられた方々とご遺族の皆様に、深くお悔やみを申し上げます。
宮城、岩手、福島、青森など、東北各地の災害の状況を知らされたとき、国分一太郎が書い
た文章を思い出しました。
昭和9年の9月、10月のころ、穂もおもくたれ黄金の波をただよわせるべき東北の平野には、青白く突ったったままの稲がならび、実のない穂が早くも吹く冷風に、きびしいさやぎをみせはじめた。百姓たちは、のろわしい「運命」を「またか」とうらんだ。
結局水稲の被害は、宮城県46%、福島37%、岩手58%、青森47%、山形40%、秋田24%、平均40%という割合であった。
(「凶作の地」『北に生まれて』国分一太郎文集9)
今回の災害は、引用した「凶作」とは比較にならないものですが、改めて、東北の地で生きることの厳しさ、ご苦労を感じさせられました。被害にあわれた皆さん、ここでも東北のみなさんの強さとやさしさで立ち上がっていただきたい。私たちのできるお手伝い、支援をさせていただきたいと心より思っています。
さて、わたしたち国分一太郎「教育」と「文学」研究会は、一昨年から「国分一太郎・こぶし
の会」の方々とともに実行委員会をつくり、「国分一太郎生誕100年」に向けて記念事業を計画してきました。
このご案内を差し上げる直前に、震災が東北・関東を襲いました。そして、まだ、原発を含めて「発災中」です。
こんな時期に、「生誕100年の集い」の案内をだし、計画を進めるのはどうなのか考えました。
記念碑をたてることなど、国分一太郎は決して望まないだろう。開催をよびかけることより、被災された方々への支援が先だ、こんなふうに考えたりもしました。
けれども「北に生まれて」「北に向かいし枝なりき…」と、こよなく東北の地と人を愛した、国分一太郎の願いは、東北の「復興」です、「再生」です。
そうであったら、「北」への国分一太郎の「思い」をこれからも語りつぐことが、災害にあわれた方々に勇気を与え支援の力にもなるのではと考えました。
今できる支援はそれぞれが行い、東北・関東の復興と足並みをそろえて「国分一太郎生誕100年の事業」を進めていきたいと考えております。
〈付記〉
予定通り計画を進めるかどうかについては、「国分一太郎生誕100年記念事業実行委員会」で、検討することになっております。問い合わせ等がありましたら、国分一太郎「教育」と「文学」研究会・事務局までお願いいたします。
国分一太郎「教育」と「文学」研究会事務局
〒155-0033 東京都世田谷区代田6-12-9
乙部武志方
電話03-3468-0973
FAX 03-3465-2767