『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

11月例会の案内

豊島作文の会 11月例会のご案内

画像の説明


  • 上に掲載した表紙のコピーは、日本作文の会の機関紙『作文と教育』の創刊号(復刻版)のものである。1950年(昭和25年)11月1日に発行されている。
  • この表紙を見ると、もともとは、『作文と教育』という名称ではなく、『月刊 作文研究』であったことが分かる。会の名称も、『日本作文の会』ではなく、『日本綴方の会』であった。
  • 発刊の様子を見ていく。

No.1号  1950年 11月発行 
     『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.1

No.2号  1951年 2月発行  
     『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.2

No.3号  1951年 5月発行  
     『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.3

No.4号  1951年 8月発行 
     『日本綴方の会』編集 『月刊 作文研究』 No.4

No.5号  1951年 12月発行  
     『日本作文の会』編集 『作文 先生と生徒』No.5

No.6号  1952年 2月発行 
     『日本作文の会』編集 『作文と教育』   No.6

*このNo.5で、『日本綴方の会』が『日本作文の会』と改称され、『月刊 作文研究』も、『作文 先生と生徒』と改題される。

*No.5から2ヵ月後の、このNo.6で、改めて誌名が『作文と教育』となるのである。

①『月刊 作文研究』とありながら、2ヶ月~4ヶ月のペースで発行されていること。

②会の名称変更は、なぜ行われたのか?

③誌名も、『作文 先生と生徒』となり、さらに『作文と教育』と変わっていく。

さらに…。

  • 岐阜県中津川市で開かれた第一回作文教育全国協議会(1952年8月)へ到るまでの「日本作文の会」の歩みを 復刻版を読み進めていくなかで、読み解いていきたい。




豊島作文の会 11月例会 案内

日 時  2009年 11月14日(土) 午後2時~午後5時

場 所  豊島区立池袋小学校 6年2組教室

提 案《『作文と教育』復刻版を読む
    …第一回作文教育全国協議会(中津川大会)へ到る道…》
 
豊島作文の会(組織拡大・理論研究部) 工藤  哲


研究会、無事終了です!

風邪がはやっているようです。
当日、提案者を含め、5人の参加でしたが、熱のこもった提案、
話し合いがなされました。


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