『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

第532回 豊島作文の会 1月例会のご案内

第532回 豊島作文の会 1月例会のご案内

◆日 時 2019年1月20日(日) 午後2時~午後5時
◆場 所 豊島区立駒込地域文化創造館 (第4会議室)
     豊島区駒込2丁目2番2号
    (「JP山手線 駒込駅」(北口)より徒歩2分)     

《提 案》 
『’18 児童文詩集 東京の子』(第44集)を読む
(1)「 共同作品研究」の二つの作品をこう読む……日色 章さん
(2)二年生の散文(11篇)をこう読む   ……曽我侑加さん
*10月例会で散文、12月例会で詩と、急ぎ足で分析を続けてきました
のでね。1月例会は、日色さん、曽我さんのレポートを通してじっくり
と時間をかけておしゃべりしましょう!
『東京の子』、お忘れなく!

◎12月例会報告

《 参加 》榎本 豊(司会)、工藤 哲(記録)、神山典士、寺木紹子、片桐弘子、田中定幸、鈴木由紀、榎本典子 (伊藤早苗・紙上参加)(敬称略)*この日は、ノンフィクションライターの神山典士(こうやまのりお)さんが特別参加。


《『東京の子』詩を読む ・話し合われたこと 》
◆1年の作品で、「てんこう」が話題に。「なみだのあめが いっぱいふった」「なみだのあめは とめられない」という表現の中の「なみだのあめ」という言葉の使い方をどのように受け止めるかが問題となった。同じく1年の「ゆうやけ」という作品。「どこか古典的な雰囲気」「どこかで読んだような」とおおむね好評。最後の「三人でゆうやけを見ながら/かえりました」がいいという声。◆3年生の「そろばん」という作品。《 そろばんは/カチカチという音がある/…… 》の一行目をどうするべきか。「題は詩の一行と同じ」ということからいくと、一行目の「そろばんは」は、とる方がいいのかどうか。簡単には抜かすことはできないという意見。同じく3年の「ぶどう」。母親の「きょうのぶどう、あまいよ。」の解釈が問題になった。母親はあまいことをなぜ知っているのか(どの時点で知ったのか。)「ぶどう」という題のつけ方、考えさせたい。抽象的で大きすぎないかという意見も。◆鈴木さんの資料の中に、『日本の児童詩』から国分一太郎の文章の引用があったのだが、それに関連して、国分一太郎が書く文章の特徴、漢字やカタカナなどの使い分けのことが話題になった。「漢字」(漢語)をあまり使わない。「コトバ」「これはウソ」「トッサな」などのようにカタカナを使う。「やまとことば」を大事にするなど。誰もが読めるようにということで、ローマ字の指導も大切にしていたということも話題になった(この辺の話は、榎本豊さんからいつか詳しく話していただければと思う)。◆3、4年生の部は「行動し考えを深めて」というタイトルになっているが、タイトルに合っていない作品が多いのではないかと。ふつう、3、4年生というのは、活発で自分の考えをビシッと打ち出してくる学年なのに、人への興味とか人へのかかわり方が希薄な印象で、しっかり主張せずにすぐ引き下がってしまう感じを受けたという感想が出た。◆ナゼ、そうなるのか?……子どもも、大人も、人間として生きていくために喜怒哀楽を感じながら生きている。さまざまに心を動かしながら生活をしている。そういう人間の姿をきちんと子どもたちに(親にも)伝えていないからではないか。◆詩は何を書くものなのか?ナゼ、詩を書かせるのか?『日本の児童詩』には、詩は、心のさけびである(感動=喜怒哀楽、発見、驚き、批判……等々)と出てくる。「それ」を詩にするのだという理解を私たち大人(教師、親…)が身につけて、子どもたちに分からせていく状況を作っていかなければならないのではないか。たくさんの詩を読ませていくなどの仕方で、子どもたちに心のさけびを自覚させてあげなくてはいけない。今の学校では、この心のさけび(感動)を書こうという呼びかけ、指導が行われていない。◆では、詩の指導はどうすればいい?どのように指導を進めるべきか?①クラス担任が、子どもたちが感じ、つかんで書いてきた日記をもとに、「不断に耕す」。子どもの心を動かしていかなければできない。これが常道。これができていないことが、今の日本の教育で考えなければならない一番の問題だろう。②担任(教師)でなくてもできる。公民館での指導の例。学校も、学年もちがう、そういう子どもたちを集めて取り組んだやり方。友だちの作った詩をいくつもいくつも読み合いながら、「ここがいいね」と話し合いの中で見つけていく。そのくり返しがいい土台となる。こういうことを書けばいいんだ、ああいうふうに書くといいんだなと分かっていく。これも大事な方法。
③由紀さんの3時間の実践。これも、二回目、三回目と、いくつもくり返し指導が続いていけば、子どもたちはさらに理解を深めていく。書けるようになっていく。              
*上記のような話し合いが続き、さらに議論が続いていたのですが、この辺で。  
文に、手紙に、仕事に、生活に、詩をつかえ。」(『日本の児童詩』(P46) 
(アンダーラインは文責者がつけました。)      (文責:工藤)  

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