『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

第536回 豊島作文の会5月例会のご案内

第536回 豊島作文の会5月例会のご案内

◆日 時   2019年5月12日(日) 午前9時30分~ 
◆会 場   童心社KAMISIBAlホール
◆交 通 ・J R山の手線 巣鴨駅下車【徒歩10分】
・都営地下鉄三田線 千石駅下車【5分】

全国作文教育研究大会(2019年東京)巡回講演
受付 9:15~9:30 (常任委員会・大会実行委員会)
開会の挨拶 (司会: 日本作文の会・研究組織部)
挨拶 9:30~9:45  日本作文の会常任委員長、東京大会実行委員会委員長
実践発表 9:45~10:45  浅香詠未さん(板橋区立紅梅小学校)
「つながり合う学級をめざして」
記念講演 11:00~12:30     武田美穂さん (絵本作家)
「こどもたちにつたえたいこと」
*午後は、東京大会実行委員会 

豊島作文の会は、この会に合流。5月26日(日)予定の例会はなしとなった。

◎4月例会報告
《 参加 》田中定幸、日色 章(司会)、工藤 哲(記録)、桐山久吉、神山典士、
榎本 豊、榎本典子、鈴木由紀  (敬称略) 
   
《話し合われたこと 》
◆この日の案件の18年度活動報告、19年度方針と年間計画作成、18年度会計報告、名簿の訂正等、無事終了。新名簿は6月例会で配布の予定。◇榎本 豊さんの「はじめに」は、いつもながら格調の高い分析。さすが元墨田教組の情宣部。(詳しい内容は、『えのさんの綴方日記』にも掲載!)◇例会に関しては、東作協とぶつからないようになどあり、今年度も原則として、日曜日実施となった。現職に参加してもらうなどのため必要ということなら、場合によっては、金曜夜6時からといった設定もあっていい、といったことも話し合われた。
◆後半、神山さんが持ってきた新3年生の二つの作品(『よふかしして、本を読んだ』、『私のカブト虫』)について話し合い。◇短い時間だったが、作品をどう読むかに関して、いろいろな意見が出された。子どもが書いたものに親のアドバイスが入ることに関しても、そのことの良し悪しが話し合われたが、授業のねらいを親にも知ってもらって、ねらいに合ったアドバイスをしてもらうというのはいいのではないかという意見など出された。◇作品に関して出された意見の一つだが、もし、ある日ある時のことを詳しく思い出して書くということがねらいであるならば、今回の作品でいうなら、夜ふかしして本を読んだその日のこと、カブト虫が「私」の家に来たその日のことをていねいに思い出して書いていくようにさせるのが大事なのではないかなど出された。◇「取材」のことが話題になった。さあ書くぞという時に、子どもたちがいろいろな題材(作文のタネ)を前もって見つけて、持ってきているかどうかが大事になる。これをどうしていくか。作文教室への参加の仕方にいろいろ事情があり、一概に、これがいいという方法は見つけにくいと思うが、かんたんな「作文のタネ・カード」(取材カード)のようなものを持たせて、いくつもタネさがしをしておくようにさせる、などというのも一つの方法かもしれない。

◆ 中川忠子さん、94歳になられたようです。身体のことなどもあり退会を致しますというお手紙が榎本 豊さんのところに届きました。

 榎本 豊さんが豊島の池袋第三小学校に初任者として赴任したのが1969年。この学校で作文教育を大切にしていたベテラン教師との出会いがあり、次の年1970年に池袋第三小で豊島作文の会が結成されている。

 中川さんは、豊島作文の会結成から7年くらいたった頃、大田区から駒込小に転勤してきて、すぐに豊島作文の会に加わっている。途中から、豊島作文の会発祥の地、池三小に転勤。事務局長として退職するまで活躍することになる。

 一時期、中川さん、榎本さん、山崎さんの3人だけで例会をやり続けた(3年ほど続いた)という話を聞いたことがあった。大雪が降った日に、墨田区に転勤していた榎本さんが、電話で「どうしましょうか。」と連絡すると、中川さん、「案内状出しちゃったから、やります。」との返事。榎本さんは大雪の中、言問橋を渡り、池三小まで出かけて行き、三人で例会を守ったという話も有名。

 中川さん、長いことありがとうございました。
                        (文責:工藤 哲)

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