『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

国分一太郎年譜 1 (0歳~9歳)

国分一太郎年譜 1 (0歳~9歳)

1911( 明治44 ) 年 O 歳
 3月13日、山形県北村山郡東根町大字東根甲八九二番地 ( 現京根市三日町二の一の二 ) に、父国分藤太郎、母デンの長男 (第一子)として生まれる ( 届出とは別に正確には、3月10日、同町大字東根甲五七二番地に生まれる〉。藤太郎25歳、デン23歳、イシ61歳であった。名づけ親は、店の常連客であったとったえられている。小さな子どものいなかった近所では、たいへんかわ
いがられた。

1913(大正2) 年 2歳
 妹マサ ( 長女、第二子 ) 生まれる。

 この年、不審火で家が全焼する。イシは失火のうたがいをうけ、警察で詰問されるが、身におぼえがないときっぱり否定する。消防組のあらそいから端を発した放火だとうわさされた。

1914 (大正3) 年 3歳
 このころ病弱で、よく中耳炎などをわずらう 。おりから田んぼのなかにわいた温泉 (のちの東根温泉) に、父につれられてゆく。

1915( 大正4) 年 4歳
 弟正二郎 ( 次男、第三子 ) 生まれる。

1917(大正6) 年  6歳
 妹まつ ( 次女、第四子 ) 生まれる。

 東根尋常高等小学校に入学。担任の先生の空弁当箱を下宿さきへとどけて得意であった。

1918(大正7) 年  7歳
 尋常科二年。担任の教師にかわって習字をおしえてくれた奥山禄郎から、この年七月創刊された『赤い鳥』に掲載されている童話などを読んでもらい、したっていたが、二年生のおわりころ亡くなり、かなしむ。

1919(大正8)年  8歳
 尋常科三年。中学を卒業したばかりの担任教師と、よくあそぶ。

1920(大正9) 年   9歳
 尋常科四年。担任の伊藤正作はバイオリンをひくなどしてたのしませてくれたが、ほどなく病気休職。後任の藤本藤一から、山本鼎の提唱した自由画を、出まわりはじめたクレヨンで描くことをおそわる。また、高岡良吉から「ウサギのダンス」という童謡をおそわる。



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