『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(12)
『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』 (12)
11 『作文と教育』No.11 9月号(1952年9月20日発行)を読む
(1)「作文と教育」No.11(1952年9月号)が出る。 (資料33)
(2)「第一回作文教育全国協議会を終って」という巻頭言(資料33-左-)は、全国協議会の最終日での終わりの言葉だろうか。格調高い挨拶だと思う。
*この中に次のような一節があるが、「生活綴方の方法」というか「生活綴方的教育方法」をとても明快に表現している、と言えるのではないか。
子どもをとりまく町や村の自然や生活を重視し、そこからさまざまな問題を見つけ、これをすべての人の共通の話題にし、ものごとの正しい見方、考え方、感じ方を養う方法は、たんに子どもにとって大切であるばかりでなくわれわれ教師にとっても大切なものである
(2)大会はどのような様子だったのか、「感想」を2名分資料とした。
(資料34~36)
①「なにものの指示もなしに-―大会印象記―」(児童文学者・詩人 巽聖歌)
・千人を超す、すごい人数の人々の参加があったようだ。「開襟シャツの白い波また波」という表現が非常に印象的に感ずる。
・来栖良夫が開会の挨拶に立ったことが紹介されている。良かったね。
・巽聖歌は詩人なだけに、二度、ジーンとしている。一度目は、駅頭にあふれる参加者を見て。
もう一度は、来栖良夫の「物質的な何の援助もなく、誰の指示もないのに、躰と躰をよせ合って、よくも集って来てくれました」 という挨拶を聞いてである。
・司会というものは、むずかしいものだと思うが、国分一太郎、今井譽次郎の司会は大したものだったようである。
②「綴方、このよきもの」(恵那綴方の会 大島虎雄)
・テントで野宿、という参加者もあったらしい。錚々たる面々が集まったようだ。
・川口半平のコトバが面白い。
よくもこれだけ集まったものだ。綴方教育にツかれていると見える程だ、驚くと共に、こんなうれしいことはない
綴方教育が熱心に行われている時は、教育が正しい方向に進んでいる時で、綴方教育が、何か圧迫されているような時は、教育が過った方向に進んでいるときであると思う
(3)この号の最終ページ「作文の会だより」を読む。 (資料36-左-)
これによると、大会終了からしばらくたった8月27日、「大会の決定に従って新たに中央委員会の設置に着手、顧問をもうけることなど協議」をしたことが報告されている。
「日本作文の会」の組織強化の動きが続いていく。
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