『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』(10)

『第一回作文教育協議会(中津川大会)へ到る道』 (10)

9 『作文と教育』No.9 5、6月合併号(1952年6月20日発行)を読む
(1)「作文と教育」No.9(5,・6月合併号)が出る。 (資料24)
本来なら、「5月20日発行」でなければいけないのだが、一か月遅れの「6月20日発行」になっている。 

(2)この号で、「作文教育全国協議会」の案内が、初めて具体的に掲載。   (資料25-右-)
10項の、

〔宿泊希望者〕は申込書に書添えること。食費実費一日約百円及び米一日一合五勺宛・毛布持参のこと・宿泊は無料

という記述がある。「食費実費一日約百円及び米一日一合五勺宛」の部分の意味合いがよくつかみきれないのだが、ここを読んだ時、何やら胸がぐっと詰まってしまった。

(3)「あとがき」を読む。 (資料25-左-)
『「作文教育全国協議会」の中津川開催について』と題して、「何とかして一人でも多く仲間を誘いあって参加したいものです」との呼びかけとともに、
①「岐阜教組」「恵那綴方の会」300名の仲間が中心となって動いてくれていること。

②参加者の負担軽減のため、寺院、公民館、裁縫室などに無料で宿泊できるように準備が進められていること。

③食事も実費でまかなえるように進んでいること。

等、紹介されている。

(4)「あとがき」の最後のところ、

 本号から発行を早めるために五六月合併としたのですが、編集者の病気などのため、かえって遅れてしまって、申訳ありません。次号は、追っかけ編集中ですから、早く出せると思います。

とあるのだが、署名がない。

後藤彦十郎?

来栖良夫?


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