『「私」の国分一太郎研究』は、国分一太郎の生きた時代とその思想の研究であると同時に、「私」自身の自己史でもある。

綴方理論研究会 5月例会のご案内(2018年)

綴方理論研究会 5月例会のご案内(2018年)

■2018年5月26日(土)午後1時
■場所 駒場住区センター 1-22-4 
渋谷駅より、京王井の頭線、最後尾に乗車し、駒場東大前駅下車。12時45分頃改札口にお出でいただければ、ご一緒に会場へ。 
■連絡先  090-4920-7113(事務局 榎本)

■内容 
・「とつおいつ」 100回をふりかえる
             乙部 武志 他
乙部先生語る

・記述についての分類「カード」研究
             左川 紀子
             田中 定幸
―前回参加の方は、資料をおもちください。
新しいカードを作成した方はご用意ください。

・第14回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会について
日時 2018年7月21日(土)~22日(日)
場所 山形県東根市さくらんぼタントクルセンター
記念講演
横須賀 薫(宮城教育大学 十文字女子大学名誉教授) 
生活綴り方再考」―国分一太郎の果たした役割に触れながら ―

【4月例会報告】
◇参加者 工藤 乙部 左川 高橋 片桐 小山 日色 榎本 田中 早川 
(敬称略)
◇講義 乙部武志さん とつおいつ 100 

キーワード  備蓄  啐啄同時  学び  生きる カード 教育  協働
大田堯 中村桂子  国分一太郎 宮原誠一 宗像誠也 海後宗臣
小西健二郎 玉田勝郎

 とつおいつ100回目の、乙部さんの話は、「備蓄」という話からはじまった。実践の「備蓄」があったから、『四年生の作文教育―年刊計画とその実践』(百合出版)という本を書く機会に恵まれたこと。その結果、今もその子どもたちとつながりを持つ機会があること、志布志湾に石油の備蓄基地が出来たことを思いうかべて。
 また、最近の話題としては、朝日新聞4月4日の、大田堯さんの「『教育とは』100歳の遺言』の記事をとりあげ「百歳の遺言 いのちから『教育』を考える」(藤原書店)の本の中で対談している中村恵子(著書には『生命誌の窓から』小学館)にもふれながら―「学ぶ」とは「生きる」と同じことである―という言葉も引用しながら、大田さんの仕事や国分さんとの関係について語った。
 なかでも、国分さんが亡くなられたあと、国分さんが長瀞小学校で作った文集「がつご」「もんぺ」「もんぺの弟」の復刻を計画して、その監修を大田堯にお願いする「使者」を乙部さんがするところを、「天皇下血」によって、出版状況が急変して、使者の役目を果たせなかったこと。また、国分一太郎の文集の復刻ができなかったことの残念さ、無念さを強調された。
 大田堯さんは、こどもの見方やとらえ方、教育の具体的な方法が、私達と共通するものがあったこと、また、東京大学教育学部の教授陣を、ある時期「3M」(スリーエム)と呼んだりもした人がいたこと。(宮原誠一・宗像誠也・海後宗臣のこと)その、下の下あたりに大田さんがいて、国分一太郎はじめ、生活綴方との交流があり『学級革命』(小西健二郎著 牧書店)には、〈「人間復興」をもたらそうとするまじめな教師の記録です〉と本の帯に書いている(田中注―乙部さんは、こういうときにすぐに、資料をちゃんと見つけて、いつも、とつおいつのなかで証拠を見せてくれてきた)ことを、コピイで示してくれた。そして、この本に登場してくる細見勝郎が、近年、何回も、国分一太郎「教育」と「文学」研究会で講演や論文を書いてくれた玉田勝郎であることも、結びつけて話された、そして、教育は、大田さんが大事にしたコトバ、「啐啄同時」でもあること。そして、その考え方は、国分一太郎ともつながるものであると話した。
 話の終わりには、国分一太郎著『教師』(岩波書店)にもふれて、わかりやすく教育を語ることの大切さ、現場の実践に役立つための研究をすすめること。その役割をこの理論研究会はになっていること。具体的には、これまで国分一太郎の提起よって続けて来た、記述指導つながる「カードづくり」を進めることの大切さを、「遺言」ではなく、君たちもそう考えているだろうという意味をこめて話された。「とつおいつ」については、しばらく休ませていただきたいとも話された。

 話が終わって、盛大な拍手が起こったが、それは、これまでの、乙部さんへの感謝の気持ちであった。いつも、たくさんの資料を時には背負い、また、引いてきて、その資料をもとに話して下さった。「とつおいつ」だから、あっちに行ったりこっちに来たりしますが、と言いつつも、時局にあわせて、また、必要なことを伝えるために、大事なことを提起してくれた。「とつおいつ」だけで100回、10年あまりつづけてくださった。厚い、お礼の拍手であった。
 何回か「とつおいつ」を、辞退したいということもおっしゃっていた。90回をこえたときには、せめて「100回までは」とお願いもした。
 さて、私たちは、どうするか。もちろん、これからも、乙部武志さんには、機会をつくって話していただく。いつまでも先輩をたよってはいけないと思いつつも、先輩だからこそ学ぶことも多い。カードづくりの研究は、当面の課題である。それにあわせて、私たちの「知見」を榎本豊の名のように「ゆたか」に「備蓄」するため、「続 とつおいつ」で、理論と実践をたくわえ、若い先生に「教育は創造である」なんて語る前に、私たちが「創造」する集団でなければならない。乙部さんを国分さんとおなじように、私たちの「師」とあおぎ、イチローとおなじように「教育」の研究者としての自負をわすれないように、「協働」しよう。

◇近況報告のなかで早川恒敬さんが、最近何度も見たという「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」の映画と、現在の日本の状況を結び付け「評論」を書いて、報告をしてくれた。これは、国分一太郎「教育」と「文学」の紀要の投稿していただいて、あらためてみなさんのよんでいただきたいと思った。
 それぞれの近況は略すが、日色、小山 早川 榎本、田中が出席した『画文集 昭和の記憶』の「祝賀会」のことについての報告もあった。

◇報告 小山 守さん
「長瀞小学校でなぜあのような教育ができたのか、長瀞に住む方々の気質から考える」 

 印刷された資料をもとに話されたので、必要な方は、小山さんにメールで資料請求するとはなされた内容をふりかえることが出来ます。ここでは、資料の「始めに」の部分を引用し、その概要を報告します。

 初めて、国分一太郎「教育」と「文学」研究会 に参加した時に視聴させて頂いた「昔村の子は」は、私にとって衝撃的でした。
以前、勤務校での教科研究で図工の研究として「お話を絵にする」というテーマで研究をしたおり、「尋常小学校ではお手本を写し、お手本に近いものを描く事ができたかで評価していた。」ということを聞いたことがあり、長瀞小学校に保管されていた想画の伸びやかな表現と、色使いに驚き、はたして今(平成の時代)を生きる子ども達が、このような絵が描けるだろうか。また、あのような生活に根ざした生活作文が書けるだろうか。とも思ったのです。同時に、子どもが労働力として大人と仕事をし、自分の仕事が生活の糧の一部となっていることを感じており自分の生活が良く見えていたのではないか。そこで、想画や生活綴り方の優れた作品が生み出されたのではないかと思った事を覚えています。
 また、後に頂いた「わが町ひがしね」では、国分一太郎に担任された子供たちが成長し青年となったときに、「農村青年団」を組織し、東京での大会に演劇を企画し、自分たちの生活を表現したと知ることができた。当時としては相当画期的な事で他の出席者に驚かれたそうで、この青年団がもとになって日本全国の若い工場労働者が組織を作ることが日本中に広がったとも聞いている。
 私は、昭和初期の時代にあのような画期的な教育活動や青年組織が地域に受け入れられたのか不思議でなりませんでした。ところが、平成30年 3月25日に開催された「画文集 昭和の記憶」の出版を祝う会に出席したおりに、私が不思議に思っていた疑問が解けたような気持ちになったのです。それは、出版を祝う会の二次会の場で、となりに座っていた地元の事に詳しい燃料販売店の社長さんに、こんな質問をしてみたときです。
 「昔、長瀞に雁金城があった頃、農民一揆のような事があったみたいですけど?」
 以前、同じ疑問について調べていたところ、東根市のホームページであったと思いますが、「長瀞地区で農民一揆があった。」と書かれていたのを覚えていたので質問したのです。すると、質流れ禁止のおふれが出ていたのにもかかわらず。この土地を納める代官(?)はこれを隠し、私利私欲のために黙っていたのですが、他の土地に出向いた村の 者が、このお触れを聞きつけて、長瀞に戻り一揆を起こした。ということでした。
 早速、自宅に戻って調べてみたのですが、ウィキペディアに詳しいいきさつがあるのを見つけました。

出版を祝う会

 想画と生活綴方の関係が話題にもなった。「画文集」の検討とむすびついて、国分一太郎が長瀞小学校でどのようなことを考えて実践してきたかについても話題になった。さらにいろいろな文献にあたって、調べたことも含めてこれも「紀要」に投稿してほしい。

◇「カード」づくり
・榎本 豊さん
「「過ぎ去ったことをはっきりと思いうかべる」
 「矛盾や不合理をありのままにつかむ」
 「歴史の流れの中で物事を見る」
 *いずれも片桐弘子さんの書いた作品「発電所の女の子」「保彦さん」より引用
・左川紀子さん、次回へ

◇「カードづくり」について、引く続き研究がつづくので、長い間会に所属している方は、これまでの資料を整理してほしい。そして、新しく会に参加してくれる方もいらっしゃるので、お互いに、資料の検証・交流を密にして、「まとめ」をどうするかも、考えましょう。
 4月例会では、司会をしたので、記録も不十分でした。お知らせを書く役目も「自覚」していず、案内がおくれてすみませんでした。一気に、思いに任せてかきました。「推考は必要である」と、常日頃から子どもたちにも言ったりもしているのですが、今回は「推考」が出来ず、内容の思い起こし、整理、コトバ使いなど、おかしい所もありますが、ご容赦ください。
(会員通信「はじける芽」:文責 田中 定幸 2018.5.21)



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